人を生かす知恵

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「主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め。」(箴言9:10)
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聖書の知恵の書・箴言にある格言の多くは、ソロモンによって書かれた。
ダビデ王の息子であり三代目の後継者となった彼は、主に祈りました。
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「わが神、主よ。・・どうか、この僕に聞き分ける心を与え(知恵を与え)、あなたの民を治め、善と悪をわきまえることができるようにしてください・・(1列王記3:7~9)」
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主は、ソロモンの願いを喜ばれ、彼に知恵に満ちた賢明な心を与えられた。人々は、彼を知恵ある王として敬うようになりましたが、ソロモンは、主の御心を知る者でありながらも、実生活は、御心に従うものではありませんでした。

私たちも、ソロモンのように、
主の御心を知ることと、主に従うこととが、繋がっていない時があります。
日常で幾たびも起こるピンチに、怖気づく時があります。
このような時、わたしたちは、主からの知恵が必要です。

イエスさまの場合はどうだったのか。
イエスさまは、知恵・品性・行動・・全てにおいて、神の御心にかなっておられました。
イエスさまは、そのすばらしい知恵をもって、
彼を陥れようとする宗教指導者たちの企みに、何度も対処されました。

ある日、石打ちの刑に処せられそうになった姦淫の女はイエスさまに命を助けられました。
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「・・行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネ8:11)
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イエスさまは、彼女の心に届く、み言葉を伝えた。
イエスさまは、神の御心が、彼女の今後の行動に伴うことを願われている。
今を生きる私たちの現状にも、あてはまる。
聖書の中のあらゆる人間の物語は、決して、他人事ではないと思わされる。

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キリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(Ⅰコリント1:30)
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イエスさまの言葉や、彼の行動の中に、あらゆる神の知恵があらわれている。
わたしたちも、神の御心を知り、それを行動にうつしていきたい。

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今年に入って観た『歴史のレシピを作ってたべる』というBSドラマを思い出した。
主人公の30代女性と、その叔母さんとの、静かな会話。

叔母:「・・愛することってね、努力と知性が必要なのよ。自分自身を愛してあげて、初めて人を愛せるんだと思うよ。自分を愛するには努力が必要、そして・・人を愛するには、知性が必要。」

女性:「知性」

叔母:「うん。知性と、知識と、教養は、全然違う。知識はね、ただ、ものを知っているという事、知性は、それを使って、相手をしあわせにしようと思う事。そして教養は・・その自分の信じている知性が、本物かどうか、自ら疑うこと。」

女性:「・・ふうん」

「知性」と、「人を生かす知恵」が、心の中で、重なった。

愛することには・・自分自身を愛すること、そして、他者を愛すること、がある。
イエスさまは「最も大切な戒め」で、このように仰った。
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「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:39)」
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他者を愛するために、わたしたちは、神さまに、
「人を生かす知恵」を求めていく必要がある。

神さまからの「人を生かす知恵」は、人の心を和ませる。穏やかにする。
それは、自分をも、新しく造り変えられることに繋がっていくのだろう。

愛することの無限ループが生まれたらいいな、と思う。
「主よ、人を生かす知恵を与えて下さい」と、祈っていこう。