人を恐れない

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ユダの人々はヘブロンに来て、ダビデに油を注ぎ、ダビデをユダの家の王とした。(Ⅱサムエル記2:4)
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残りの11部族(イスラエル)は、サウル王家に従った。サウル軍の司令官にアブネルという人物がいた。彼はサウルの息子イシュ・ボシェトを擁立し、イスラエルの王としたが、実際には司令官アブネルが実権を握るようになっていた。ある日イシュ・ボシェトはアブネルに「なぜ父の側女と通じたのか」と物申したとき、アブネルは激怒して言い返した。
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イシュ・ボシェトはアブネルを恐れ、もはや言葉を返すこともできなかった。(Ⅱサムエル記3:11)
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アブネルは、イシュ・ボシェトを見限り、ダビデが全イスラエルをの王になる後押しをするために、手腕を発揮した。ダビデも、アブネルの提案を受け入れる。

こうしてイスラエル王国統一の可能性は一層高まったが、アブネルは、ダビデ側の司令官ヨアブに暗殺されてしまった。ダビデは、アブネルを悼み、率先して喪に服した。イスラエルの人々は、この殺害は王の意図によるものではないと知った。

実はヨアブは、ダビデの甥っ子でもあり、軍の司令官でもあったヨアブを、持て余していた。ダビデは、自分勝手にふるまうヨアブに対して、苦手意識を持っていたのである。

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人を恐れたり、人に対する苦手意識があると、それ以上、前に進めなくなる。
恐れは、いつまでも立ちはだかる壁のよう。

わたしたちだって、イシュ・ボシェトのように、激怒したアブネルの様子を見て、恐れがやって来ることもあるし、
また、幼いころに感じた恐れを、心の中に蓋をして、なかったことのようにしている恐れがある場合もある。

人間には、不安や恐怖に意識を向ければ向けるほど、その感情は、一層強められてしまうという性質がある。
行き過ぎた恐れは、手放したい。
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「人を恐れるとわなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」(箴言29:25)
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主を信頼する人は安らかだ。

このような声かけを、幾度も、していただいた。

「〇〇さん、どうか、恐れを追いかけたりしないでね、
 
 神さまの、あふれる恵みがあなたを追うから。
 
 どうか、立ち止まって、振り返って、

 神さまの愛を受け取ってね。」

わたしたちは、恐れの感情に倒れることのないように、

イエスさまのところに行くことができる。

イエスさまは、日々、わたしたちの心に、平安を与えてくださる方だ。

不安や恐れは手放し、

主のいやしを、受け取ろう。

人は良い面と醜い面を持ち合わせている。

挫折しては立ち直り、崩れてはまた起き上がる過程を経ながらも、

神さまのご計画は、前進していく。

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私たちは、今よりとこしえまで、主をほめたたえよう。ハレルヤ。(詩115:18)
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