主の足もとに
昨日、TVで、ボクシングの試合を観ました。
距離を詰めて詰めて・・打つ、打つ!の連続。
物理的なディスタンス。
「今だ」という瞬間を見極めようと、
心の中も、すごく動いてる。
この2年ほどで、何回「ディスタンス」という言葉を聞いただろう。
コロナ禍は、人との距離を物理的にも心理的にも変えた。
人とのつながりについて、意識はどのように変わっただろう。
そして、神さまとのつながりは?
何か変化があっただろうか。
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イエスが、ある村に入られたとき、重い皮膚病を患っている十人が、出迎えました。彼らは、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言いました。イエスさまは、その人たちを見て「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。(ルカ17:12~14)
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重い皮膚病の人々は、その病のゆえに人々から物理的な距離をとらなければいけなかった。また、彼らが癒されたのなら、祭司のところに行って、治ったことのお墨付きをもらわなければ社会復帰ができませんでした。
十人は、、癒されました。いつ癒された?祭司のところへ行く途中に、です。(14)
まだ、治っていない体のまま、十人は、イエスに従い、祭司の元へ歩いて行ったのです。
これを「望む結果を先取りする信仰(行動が伴う)」という。(へブル11:1)
望んでいる事柄を確信して、行動を起こしたことがあるだろうか。
自信がある事柄ならば、行動する気持ちも起こるでしょう。
でも、信仰とは・・・どうしても変わらない現実の中で、希望を持ち、イエスに従って行動すること。暗闇を、イエスの光の中で歩んでいくことなのだと教えられます。
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さて、その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来ました。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝しました。この人はサマリア人でした。(15,16)
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彼は、神に栄光を帰する信仰を、イエスさまにあらわしたのでした。
イエスさまは、このサマリヤ人の信仰を評価された。人が、神さまともっと近しく、親しい関係になってほしいと、主は、いつも願っておられる。そして、人と人との回復を願っておられる。
望む結果を先取りする信仰により、お互いを思いやりながら、神さまとの親しい繋がりを、いつも選んでいきたい。
【今週のみ言葉】
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
(へブル11:1)