主に見出された喜び
子どもが、急に、漢字の覚え方の話をしてきた。
「ママ、漢字は、1文字を覚えるよりも、単語で覚えた方が覚えやすいねん。
たとえば・・・「信頼」の「頼」という漢字を覚えたかったら、「信頼」という単語を、何回も書くねん。信頼、信頼、信頼・・」
「ただ、神を信ぜよ。」
と、語りかけられているように思えた。
神さまの配慮は、あらゆる形で、現れていると思う。
毎日、あらゆるところで、
ひとりひとりの心が守られている。
完璧な神のエスコートの中で、
わたしたちは、生きている。
あまりにも自然なので、気がつかないだけだ。
今の境遇に感謝していこう。
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1サムエル記8章~10章1節。
最後の裁きつかさであったサムエルは年老いて、その息子たちも後を継ぐことは難しそう。そのようなこともあり、「王を立てたい!」と、言う事をきかないユダヤの民のために、神である主は、しぶしぶだが、イスラエルに王を立てることをおゆるしになった。
サムエルは主のおことばのとおりに、王となる人を待った。
ベニヤミン一族の男である青年サウルは、
家から逃げたロバを捜すため、
何も知らずに、先見者(サムエル)のもとにやってきた。
主は、彼を見出した。
サウルは、初代イスラエル王になったのでした。
ユダヤの民が王を望んだように、
わたしたちも、いろんなものを探し求める。
完全を求めすぎているのかもしれない。
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群衆で遮られて見えないイエスさまに出会うため、ザアカイはイチジク桑の木にのぼって、イエスを探し求めた。ザアカイは、強く、イエスさまの救いを求めていた。その思いを、イエスさまは知っておられた。
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「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(ルカ19:5)
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イエスさまは、取税人ザアカイを見出された。
ザアカイは悔い改め、喜びをもって、与える人へと変えられた。
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「人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。」(ルカ19:10)
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今のわたしたちのことも、
すべて知ってくださっている。
主イエスに見出された。
救われた喜びがある。
この喜びが、広がっていきますように。