主に喜ばれるいけにえ
Ⅱサムエル記11章1~26節、
ダビデは、多くの罪を犯してしまった。
ダビデのしたことは神の御心にかなわなかった。
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ダビデは(預言者)ナタンに言った。
「わたしは主に罪を犯しました。」(Ⅱサムエル12:13)
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主は、ダビデの罪を取り除かれたが、彼に裁きを下した。
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「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(詩篇51:9)
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詩篇51篇は、イスラエルのダビデ王が、ウリヤの妻バトシェバに通じたことに始まり、罪を重ねて、預言者ナタンに叱責されたときに、ダビデが書いたといわれている。
個人の汚点を、長きにわたり、全世界で読みつがれているダビデのことを思うと、とても、いたたまれなくなりますが、
しかし、彼が、暗い暗いどん底にいるときに、神への悔いる心をあらわした、詩篇51編は、いまの私たちの心の中に響いてきます。
人間は、ふとしたときに、間違った方向に行ってしまいやすい存在でもある。
ダビデの苦しみや嘆きをわたしたちが考える時、
遠い昔の、遠い国の、ダビデ王も、
わたしたちと同じ、人間だということに気づかされる。
自分が正しい人間であるという気持ちから、
罪に陥った人を拒絶する心が、生まれてくる。
イエスさまは、そのような過ちに陥りやすい人間に、語りかけておられる。
ルカ18章では、自分は正しい人と思って他者を見下している人(9)に、たとえ話を用いて教えられた。
また、ルカ10章では、マルタとマリアの家で、イエスさまは、自分をもてなすためにせっせと働くマルタの心をご存知であり、彼女の不穏な状態をとらえて、やさしく教えてくださった。
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「♪回復の時」という賛美を歌った。
♪主の御前から 恵み流れて 回復の時がくる
砕かれた心に いやしの御手はのべられる
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「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(詩篇51:9)
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神さまは、打ち砕かれて悔いる心を、見ておられる。
わたしも、
本当に、自分はどうしようもないと言いつつ、
自分の思いを握りしめていることがあった。
弱いと言いつつも、心の内側には、
頑なな自分が鎮座していた。
そんな自分に、イエスさまは言われる。
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隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。(マルコ 4:22 )
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人間、みな弱い。
その弱さが、自分の中にあることを認めて、
神さまを求める時、
神さまは、必ず、恵みと、
十字架の救いを与えて下さる方だ。
神のあわれみと恵みの深さを、
わたしたちは、受けている。
「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。」(エレミヤ17:9)
が、イエスさまは、それもぜんぶ、ご存知だ。
この方に信頼して、歩んで行こう。