主が拓かれる道

1.新約聖書を読もうと決意
2.一番初めから読む
3.イエスキリストの系図(マタイ1章)が書かれている
4. 挫折!!!!

この1~4の繰り返しをしてきた人々のなんと多いことでしょう。わたしもその一人。
聖書を初めて手にしたころの、淡い思い出です。

イエス・キリストの系図には、女性が4人出てきます。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻。それぞれが、不倫、異邦人、遊女など、人生の色々なところを通ってきた女性たちです。

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アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを…(マタイ1:3)
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ユダヤの族長ヤコブの四男であったユダは、タマルにとっては義父にあたる。タマルは、最初、ユダの長男の妻であったが、長男が死に、次に結婚した次男も死んだ。ユダは、三男との結婚の約束を、何年もの間、反故にした。タマルは実家でほったらかし。ついにタマルは遊女に変装し、ユダを待ち伏せ誘惑。ユダとの間に双子の男の子を産んだのでありました。(創世記38章)

人は、自分勝手に考えて、行動を起こしてしまうものだけれど、
神さまは、これらの出来事を通して、イエス・キリスト誕生へ繋がるようにされた。
長い長い系図の中にも、神さまの憐みが現されている。
神さまは、歴史の中に、その力をもって、介入される方だ。

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人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。(箴言19:21)
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タマルは、実家で待機している間、
三男と結婚した人生のイメージを描いていただろうか。
しかし、そのようにはならなかった。
わたしたちの人生にも、それぞれに、
「思ってたんとちがう!!」と思うことがあるだろう。

少し、振り返ってみる。
例えば、20年前の自分は、
今の自分の姿を想像していただろうか。
「思っていたんとちがう!!」という思いさえも、
通り越しているようなことが、
起こってきたことに気がつく。

時々、自分のことを、
荒波に揉まれている舟のように思うことがある。
自分で帰れるものなら、帰りたい。
でも、自分の罪のために彷徨っているのならば、
帰る術も分からない。
私たちの神は、失われたものを捜して救ってくださる。
醜いことや弱さがあっても、主は、そこから道を拓かれる。
祈っていきたい。

神さまのご計画、というのが、
それぞれの人に備えられている。
明日のことは誰にも分からないけれど、
主に信頼して、主が拓かれる道を進んでいきましょう。