主がわたしのかたわらに

昨日の礼拝メッセージ、み言葉を、分かち合いました。

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ヤコブはベエル・シェバを立って、カランへと旅立った。
ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。
彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
そのうちに、彼は夢を見た。
見よ、一つのはしごが地に向けて立てられている。
その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。(創世記28:10~13)
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光が地面に届く。

まるで、はしごがかかっているかのような光の風景が浮かんでくる。

そこを、神の使いたちが、上り下りしている様子を想像する。

わたしは、

神さまの使いたちは、・・地上の人の様子をいつも気にかけてくれていて、

それこそ、神さまのお使いですから、

えっさほいさと、地上と天上を行ったり来たりしているのではないか、

と、この映像をイメージするときに、思う。

はたまた、ご用のないときでも、

天使たちは、いつも準備をしている。

いつでも動けるようにと、トレーニング階段として、また、はしごを、

えっさほいさと、上り下りしているような気がする。

この、上下運動している天使たちの姿を想像すると、

「祈りが届いていないわけではない、全力で、動いている何かがある。」と、

思わずにはいられない。

【今週のみ言葉】
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見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。(創世記28:15)
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辛い状況の中にあっても、神さまは、わたしを見捨てない、と言ってくださる。

神さまは、わたしが、迷っていることも、

どこに行けば分からなくなっていることも知っておられる、唯一の方だ。

そんなわたしを、捨てない、と言ってくださっている。

辛い状況は、ある。

どうにもならないとき、ほんとうに動けなくなることを経験する。

でも、あの時の辛い状況が、

自分にとって、「まったく不要なもの」では、なかった、と思う時だって、ある。

昔、気づけなかったことが、気づけたとき、

わたしは、救われた思いに、なる。

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辛い状況が長く続いているかもしれない。

でも、そんなときにこそ、

神さまが言われる「決してあなたを捨てない」というみ言葉を、思い出したい。

主が、わたしの、かたわらに立っておられる。

そのように信じて、生きたい。