ヨセフの葛藤と受容
どんなに小さいことでも、自分にとっては、これが生きる喜びです、というものがあれば、
それは、毎日の生活にはりあい(生きがい)がでる。日々の小さなことを喜びたいと思う。今、薄曇の向こうで輝いている、冬の太陽にも、わたしたちは、喜べる。
それでも、日々のことで、困難が続く時、
周りについていけなくなることもあるだろう。
生きがい、というところまで、考えられなくなる時だって、経験する。
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「…主はわたしをつかわして、…打ちひしがれている者に自由を得させ、…るのである」
(ルカ4:18,19 口語訳)
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イエスさまは、打ちひしがれている人に、自由を得させてくださる方だ。
イエスさまにあって、自由にされたその人は、
新たな生きがいを持つ人へと変えられていくだろう。
困難は、生きがいに気づくために、必要な事なのかもしれない。
これから歩む人生の道に、主が自分に望んでおられることを願う時、
聖霊さまは、助け主となってくださる。
あの夫婦も、そうした。
マタイ1章18~21節、イエス・キリスト誕生の次第、
その両親となるのは、夫ヨセフと妻マリヤだった。
2人が、天使が知らせた、救い主誕生のお告げを、引き受けたのだ。
ヨセフには、すでに身重のマリヤと結婚することに葛藤もあった。
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「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。(マタイ1:21)」
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彼は、天使の言葉を信じた。神さまの御心のままになるように、決意をもって、マリヤを受け入れた。
主の望まれる道を一緒に歩んだ。2人の歩みには、いつも聖霊さまの支えがあったことでしょう。
わたしたちにも、ヨセフのように、葛藤するときがある。
受け入れがたいことを聞かされたときは、どうするだろう?
もしかしたら、その事実を、じっくり味わってみてもいいのかもしれない。
葛藤の中を通ったからこそ、開く扉みたいなものがあるからだ。
声にならないような苦しみや悲しみは、
隠れたところで、誰かに、受け止められている。
このような、心の、深いところでの交わりによって、
悲しんでいたあのひとに、
新たな生きがいが、もたらされるのではないだろうか。
イエスさまの父ヨセフも、母マリヤも、それぞれの使命を受けとめた。
葛藤もあったけれども、神さまと共に歩んでいくことを心に決めた。
わたしたちも、聖霊さまに助けられながら、
お互いに、できることをしながら、
主の愛の中で、今週も、支え合っていきたいと思います。