ダビデの潔い信仰

ダビデ王は、息子アブサロムが、腹違いの兄弟アムノンを殺して母の実家に亡命した問題を、長い間放置していたが、ダビデの側近ヨアブがダビデの心がアブサロムに向いているのに気づいてから、ヨアブの働きによって、アブサロムを都エルサレムに連れて帰ることが出来た。しかし、アブサロムはダビデへのお目通りが叶わず、また2年間もほったらかし。アブサロムはやっと会えたヨアブ(←地所に火をつけられた!😿)に「王に会わせてほしい」と伝えて、やっとのことでダビデ王と再会。アブサロムは王の前で地にひれ伏し、王はアブサロムに口づけした。2人は和解にした・・・かのようにみえた。

アブサロムの反逆が始まった。彼は、王に裁定を求めてやってくるすべてのイスラエルの人々の心をつかむ行いをするようになった。4年が過ぎ、アブサロムは王に「私が主に立てた誓いを果たすためにヘブロンへ行かせてください」と頼んだ。南にあるヘブロンを陣取り、北イスラエルの人々と共に、ダビデのいる都エルサレムを、挟み撃ちにする計画であった。アブサロムの陰謀を見抜けなかったダビデは、アブサロムをヘブロンに行かせてしまう。アブサロムの、ダビデ王の位を奪う計画は、着々と進んでいった。

ダビデの使者が危険を知らせるとダビデ王は直ちにエルサレムから逃げる決断をした。祭司たちもやってきた。ダビデ逃亡に合わせて神の箱も運ぼうとしていたのだ。

しかし、ダビデはこのように言った。

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「神の箱を町に戻しなさい。もし、私が主の目に適うのであれば、

主は私を連れ戻し、神の箱とその住まいを見せてくださるであろう。

しかしもし主が、『私はあなたを喜びとしない』と言われるなら、

主がその目に適う良いことを私にしてくださいますように。」(Ⅱサムエル記15:25,26)
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ダビデは、いろんな弱さも持っている人だけれど、

追い込まれた状況で、主の御心を仰ぐ、潔さをみせる。

バト・シェバとの最初の子どもを亡くしたときもそうだった。

ダビデに起こった出来事の中で、

彼が、絶望の底にあって、

悲しみに打ちひしがれる時も、何度もあったかと思う。

そのたびに、ダビデは、

心の内を神さまに打ち明けていたのでしょう。

彼は、幾度も、主に慰められ、

助けられ、ダビデの魂は安らいだ。

何があったとしても、主の御心に適うことを望むことが、

大切だと思った。

途方もない悲しみの中にある時に、

どんなこともすべて神の御手の中だと信じることは、難しいことだ。

それでも、神さまは、決して、離れずに、

そばにいてくださる方であり、

わたしや、あなたの口から、神さまを呼び求めてほしいと、

望んでおられる方だ。

想像をはるかに超えすぎて受け止められないほどに、

主は良い方なのだと、信じることだ。

神さまは、ダビデの悲しみの涙を全部ご存知であったように、

わたしたちのことも、同じように、ご存知であり、

気にかけてくださっている。

-神を畏れる(潔い)姿勢とは、どんな在り方だろうか。

過去の悲しみや罪悪感にとらわれないと、

心に決めることから、また、始めていきたい。

イエスさまは、わたしの罪のために

十字架に架かられ、復活されて、

自由を教えてくださった。

だから、どんな時でも、

主を喜びうたうことの方を、

選んでいきたいのです。