キリストの場合も同様
ラジオを聴いていたら、DJの方が言った。
「・・ほら、自分の身体ごとってさ、後回しにしがちじゃない?」
確かに。
わたしは、先週、奥歯のあたりが急に痛んで、
ガマンできずに歯科を受診したところだった。
でも、よく考えてみると、歯痛の予兆はあった。
わたしは、普段から、
夜中に「歯を食いしばって」寝ているクセがあるようで、
起きた後、かみ合わせに不具合があった。
最近は、日中にも「歯を食いしばる」クセが出るようになっていた。
痛み止めの処置をしてもらった。
少しずつ、良くなってきた。
もっと早く病院に行けばよかった。
身体の中で、普段、痛まないところが痛んでくると、その器官の大切さが、ありありと分かる。大丈夫だと思ってほったらかしにしていると、痛みに鈍感になってくるから注意が必要だ。
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体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。(Ⅰコリント12:12)
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教会のこと、つまり、人と人との関係のことについて教えられる。
キリストの体である教会の交わりは、
「弱い部分」を支えるというカタチで、
体の各部分が働き、役割を果たしている。
パウロは言う、
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一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。(Ⅰコリント12:26)
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喜ぶ人と喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマ12:15)
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苦しみの時、一緒に泣いた人が一緒に喜べる。
人の悲しみの中にいることは、つらいことだけれど、
そこが一切の始まりなのだと思う。
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体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。(Ⅰコリント12:25)
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お互いのこと、気にかけるって、大事だ。
はたして、相手への配慮、とは?
相手のことを思うことから始めてみたい。
たとえば歌う時、
呼吸を整えるために、
曲の合間に「1拍」おく。
そんな風に、
自分の言葉に、いつでも、
「1拍」おくことを、
心がけていけたら良いな、と思う。
失敗もあるだろうけれど、
お互いのことを大切にする気持ちをもって、
歩んでいけたらいいな。