キリストのみわざ
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今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』(マタイ11:16-17)
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イエスさまは、2000年前、当時の時代のことを、呼んでも振り向いてくれない子供たちにたとえられた。当時のユダヤの指導者たちのことを言っておられたのである。彼らは、バプテスマのヨハネやイエスの教えに耳を傾けようとしなかった。ヨハネやイエスの教えは、自分たちに生き方を改めるように迫るような、耳に痛い言葉であった。自分の考えを改めることができなかった。
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(バプテスマの)ヨハネは、牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。
「来たるべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」(マタイ11:2,3)
イエスは、お答えになった。
「・・・目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。」(マタイ11:5,6)
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ヨハネは、イエスさまに、この問いをしたからこそ、イエスさまの、御言葉を知ることになった。
ヨハネは牢の中にいたけれども、ヨハネの後から来られた方、イエス・キリストによる良き知らせが、ユダヤ中の貧しい人々へと広がっていたのである。
ずーっとずーっと昔のこと。四半世紀も前の学生時代のこと。私は友達と一緒に食事に行った。
偶然、学校で知り合った2人も加わって、4人で食事をしながら話をした。
知り合った人の一人が、「好きな歌や歌手とかいるの?」と尋ねると、それに私の友人が「〇〇」と答えた。
その時、その人はとても喜んで、
「え?なんでそれが好きなの?教えて教えて!」とさらに尋ねたのだった。
なぜ、今更、こんなことを話すのかというと、
わたしは、その人が、喜んで、人に興味を持って尋ねている姿勢に好感を持った事を、思い出したから。
「あ、その感じ、いいなー」と、心に残ったのでした。
「もっとあなたのことを知りたい」と思えて、素直に聞けるのって、いいなと思う。
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今の時代は、何にたとえられるだろうか。
「たとえ」を考えてみた。
「今の時代・・・それは・・・バーベキューの網に載せられた牛脂に似ている。
脂は網をすり抜け、火の燃料となって、一瞬にして燃え広がるが、
人々は、溶けた脂が燃え広がるのを見るばかりで、そこにあったものが何なのかを見ようとしない。
牛脂は、網ではなくて、鉄板に載せてご飯と混ぜてチャーハンにしたらめちゃくちゃ美味しい。」
・・みたいな?
とにかく、自分(牛脂)をもっと大事に、と言いたかった。
わたしたちが、
すてきな鉄板と、すてきなご飯に出会うチャンス、
これからもあると思う。
神さまは、それを用意して下さっていて、
火かげんを分かってくれている方。
失敗して、自ら網に飛び込んでしまったとしても、
そこから救ってくださる方。
恐れずにチャーハンを作っていきたい。