イエスとペトロとの対話


ヨハネの福音書21:15~17。
復活したイエス様は、漁から戻ってきた弟子たちを、焼き魚とパンでもてなしてくださった。イエスさまは弟子のペトロに聞く。

「わたしを愛しているか。」
「はい、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です。」
「わたしの羊の世話をしなさい。」

ペトロに対して、このやり取りは、3回も、繰り返し続いた。


ぴえん…

同じ事を言われ、ペトロは悲しくなってしまう。あの時のことを思い出したのだろうか。

ペトロは、生前のイエスさまに向かって、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。(マタイ26:33、マルコ14:29)まったく純粋な気持ちで言ったと思う。しかし、それは、出来なかった。イエスさまが、捕らえられた後、大祭司の屋敷内にいた女がペトロの存在に気がついた。「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいた」それに対してペトロは、イエスを知らないと、3回言った。鶏が鳴いた。イエスさまの言ったとおりになった。そして、ペトロは泣いた・・。

ペトロは、この経験を通して、人間のどうしようもない弱さを、知ったのだった。知る必要があったのだと思う。
復活したイエスさまは、何も言わずに弟子たちの前に現れて、ペトロたちを食べ物で、もてなされた。イエスさまの、人への愛は深い。

イエスさまがペトロを赦されたように、私たちも、赦されてきた。

後ろめたい、ばつが悪い、どんな顔で話していいのか分からない。
そう思って、その場から、逃げてしまうことが、あるかと思う。

しかし、それにもかかわらず、
やさしい眼差しを、向けられたことはあるだろうか。人を通して、イエスさまのような愛を感じるようなことが、あるだろうか。

わたしは、多くをゆるされていると思う。

***

「わたしの羊を飼いなさい」と、イエスさまは言われる。

ゆるされた経験は、これから、人との関係の中で、生かされていくだろう。

イエスさまがわたしたちを愛されたように、周りの人たちに、その愛を、向けていくことができますように。