べレアのユダヤ人たち

Q.「はしご」すること、ありますか?

会社の懇親会の後や、友達と集まってお店を何件か回ること、過去にありました。
また、学生の頃に「はしごでやって来た人」を、近くで見ていたことを思い出した。

私のアルバイト先は、大阪の繁華街にあるドーナツ屋だった。学校が終わってから、晩の10時過ぎまで働いていた。
商店街は、お食事処が多く、ビジネスマンや学生たちで毎日あふれかえっていた。夜のドーナツ屋に集まるのは、たいてい、どこかで食事を楽しんできた後の人達だった。まだまだ話したりなくて、「もう一杯お茶でも」と「はしご」して来てくれていた。夜のドーナツ屋は、話の尽きない陽気なカフェだった。お客さまは、いったん座ると、長くなった。夜はいつも満席状態、その店は、残念ながら、私が卒業する年に閉店してしまった。

パウロとシラスの、ヨーロッパ宣教の旅は、町から町へと、「はしご」しながら伝道するスタイルであった。「はしご」をすると、また違った雰囲気で、話すことができる。仕切り直しができる。パウロとシラスは、ヨーロッパの町で、いろんな人達に出会った。行く先々で、イエスさまのことを伝える。信じる人々が増えていく。捕まったり追っかけられたりして、怖い目にもあっただろうけど・・一緒の方向を向いて歩いて、はしご伝道旅をつづけた2人が、なんだか尊い。彼らは、ピリピの町からテサロニケの町に移り、テサロニケを出発した後、べレアという町に来た。

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パウロとシラスは、べレアへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。(使徒17:10、11)
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そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。(使徒17:12)
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べレアの人々には、イエスさまの福音を聴く心が開かれていた。
たくさんのユダヤ人、ギリシア人であった人々が、イエスさまを信じた。

べレアのユダヤ人は、聖書(旧約聖書に近いもの)を読んでいたが、パウロたちの話を聴いて、聖書を読んでいない多くの異邦人も、イエスさまを信じた。人々が、新約聖書なしに、イエス・キリストを受け入れて、信仰生活を送っていた時代があった。新約聖書はなかったけれど、彼らは、聖霊に導かれながら、信仰を守っていた。私たちが当たり前に持っている新約聖書が出来たのは、4世紀。ずっとずっと後のことである。

わたしは、「あー、そういえば、最近、新約聖書を開いていない・・」みたいなことが、あるのですが(!)、日々過ごしていると、いろんなことで迷ったり悩んだりします。人間は、1日に最大で3万5000回の選択を脳内でしているそうです。そういうことを考えると、あれ?!人って、ずーっと、悩みで脳がいっぱいなの!!?

そんな時、
「イエスさまって、こういう時、何と言われていただろう?」と、聖書を開いて、イエスさまに出会うことができます。本を通して、イエスさまのことを知れる。聖書があることは、本当に感謝なこと。文字で知り、朗読で知り、歌で知る、今なら、動画でも知れる、グッドニュース。

どんな状況に置かれても、どうしたって思い悩む私たちに、
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なぜ…思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。…今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。(マタイ6:28~30)
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と、イエスさまは言われた。

神さまは、私たち一人一人の思いを知ってくださっている。悩みの中にあっても、そこに、見えない神のご配慮を感じ取っていきたい。野に咲く花のように、ゆだねていこう。

べレアのユダヤ人たちは素直だった。

「素直」な心は、誰かの真心を受け入れやすくする、と思った。

素直な心でいたい。

では、「素直になれない時」は?

そんな時は、自分の心に聴いてみようと思う。

まず、自分の心に、素直に、耳を傾けてみよう。

そこには、イエスさまがいつも、おられるから。