できるかぎりのことを


イエスさまが十字架にかかる2日前のこと。緊迫した状況の中で、イエスさまに愛をあらわした人がいた。

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イエスが…シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。(マルコ14:3)

そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。(マルコ14:4~8)
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切羽詰まった状況で、ホッとする出来事を体験したことは・・何度もある。そして、誰かから、できるかぎりのことをしてもらったことも、色々と思い出した。大切に思っていてくれているのだと、うれしい気持ちになった。

女が、イエスさまにできるかぎりのことをしたみたいに・・わたしたちは今、イエスさまに何ができるだろう。身近な人・・周りにいる人に、愛を表すこと、親切にすることは、イエスさまにすることと同じだということ(マタイ25:40)を心にとめたい。

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昔のこと。大学入試の科目の中に「小論文」がありました。題目は2つで、
1問目は、「豊かさとは何か、についてあなたの意見を書きなさい。」という問題。2問目は、「愛とは何か、についてあなたの意見を書きなさい。」という問題でした。

「豊かさについて」は、「経済的な豊かさ」と「心の豊かさ」について述べたことを覚えています。よく出題されるテーマだったから練習もしていた。

しかし「愛について書きなさい」という問題を見た時におどろきました。実はこの頃、人間関係に大きくつまづいていた。仲良しだった友達が、急に話してくれなくなった。悲しくて、授業に出られなかったり、部室の小屋でひとりで泣いたりしていた時でした。この時、読書にずいぶん助けられました。たまたま、試験の前に、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を読んでいて、解答用紙には、本で見て覚えていたことを、そのまんま書いた。何を書いたのかは、思い出せない。・・思い出せない。

「愛について」、理解した、ということはいえず、ずっと分からないままだったように思う。ひとつ言えるのは、わたしは「愛に飢えていた」ということだ。

Ⅰコリントの13章。

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愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。(Ⅰコリント13:4)
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愛について、こんなにもはっきりと、聖書に記されている。イエスさまは、わたしたちに、神の愛を示してくださっている。

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「わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。」(マルコ14:7,8)
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自分のできるかぎり、イエスに、高価な香油を注いだ女のことを思う。
あなたとは、いつも一緒にいられない。女は、この日この時だからできる、自分の最善をおこなったのだ。わたしも、そうでありたい。心配しなくても、いい。弱いわたしの、弱い部分さえ、神は、用いてくださるのだから。


夕暮れ。三日月と星がきれいだった。