それを得るために

-あきらめる事も、大切な時がある、と思いますか?どんな状況ですか?

20代の頃、職場で、どうしても対応がうまくかみ合わない人がいて、困っていた。
不満を上司に漏らした時に、上司は遠い目をして、こういった。

「人の性格って、変えられないからね・・」

この時初めて、
自分がどうにかして人を変えようとか、
そういう考えは、やめたほうがいい、と思った。

では、どうしたか?

待った。
厳しい状態だったけれど、ひたすら待った。

でも、その人に変わってもらうことをあきらめてからは、
困難は、緩やかだった実感がある。
今でも覚えているくらいだ。

待つことができるようになっていた。
自分が出来ることだけに集中した。

その後、事態は思いもよらぬ結果となり、
抱えていた問題は、終わりを迎えた。

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「種まきは、1日遅れると、7日収穫が遅れるので気を付けてください」

この間、野菜作りの講習会に参加しました。
テーマは、秋冬野菜の準備や、真夏の虫退治の方法などを教えてもらったのですが、
知らないことが山ほど出てきました。
また、実際に畑に入って、
青く茂った野菜の葉っぱの形などを眺めていると、
自分の知らない世界のほうが、
圧倒的に多いということに気がつきます。

偉そうなことなど、とても言えたものではない、と思うのです。
ピンチに陥った時、
人生の岐路に立たされた時、
道に迷った時、
私たちには導き手が必要です。
イエスさまの伝道の歩みの中で、
私たちは、まだ知らなかった自己を発見し、
導かれて旅をしている者のひとりなのだと思います。

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一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。ペトロは、「納めます」と言った。
そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」。(マタイ17:24~27)
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神の国では、神の子(イエス)は、税金を納めなくてもよいのですが、
イエスさまは、神殿税を集める人達を、つまずかせないようにしておられる。

そして、納めるべき銀貨は、魚の口の中にある。
ペトロが、湖に出て「釣り」をする行動に出て、初めて得られるものだ。
神殿税として納める銀貨は、すでにイエスさまが、
魚の口の中に、備えてくださっている。
イエスさまには、魚の口の銀貨が見える。
ペトロは行って釣りをしなければ見えない。

それを得るために・・私たちの信仰も、日々問われている。

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備えられていた時間と道のりの話。

この間、長浜駅から琵琶湖線で最寄りの駅まで帰ることになった。
乗り遅れると、1時間、帰宅が遅れてしまう。早く帰りたかった。

ロータリーに着いたのが、発車時刻3分前。切符を買って、乗れるだろうか。
あきらめようかな・・いや、乗りたい。
少し急ぎ足で、駅の階段を上った。

アナウンスがあった。「〇〇駅で車両点検のため、7分遅れています」
間に合った!うれしい!

と思ったのもつかの間、
待てど暮らせど、電車は来ない。
車内点検が長引いているようだった。
暑い中30分近く待った。
もう一度、出直そうかと思った時に、電車が来た。
最寄りの駅に着くと、自宅近くまで行くバスが、発車寸前であった。
1時間に1本しかないバスに、運よく乗車できて、無事帰宅した。

結局、電車が遅れたことで、いちばん良いルートで帰ることができた。
神さまが、帰りの時間と帰宅方法まで、備えてくださっていたと思った。

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ペトロが湖に出て釣りに行ったかどうかはわからないが、
わたしたちの生活の中でも、ペトロと同じようなチャレンジや、選択の時があるかと思う。主に信頼して、一歩踏み出すタイミングがあるかと思う。

主は、わたしたちの思いをすべてご存知の方である。
わたしたちの祈りを、決して空っぽで返されるお方ではない。
そう信じて、一歩踏み出していこう。
思い出したチャレンジがあれば、主に願い求めていこう。

神さまが、私たちひとりひとりに備えてくださった賜物が、
いよいよ用いられていきますように。

元漁師のペトロの釣り姿、ちょっと見たい気もする。
きっと、めちゃくちゃ上手いんやろうなぁ。