風は思いのままに吹く

*******************************
「風は思いのままに吹く。 あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。 霊から生まれた者も皆そのとおりである」
(ヨハネ3:8)
*******************************

あしたは、あしたの、風が吹く /

風は、思いの、ままに吹く /

御霊は、好む、ところに吹く /

・・・

聖書的語呂合わせ、リズムがあって楽しかった。

夜、大河ドラマの「光る君へ」を観ていたら、

なんだかわたしも、つくりたくなった。

Rapのリズムに合わせてみよう、波紋よ、Come on!

♪♪♪♪

「あなたに会いたいから会いに行く でも 

思うところあって 夜動くニコデモ

恐れとかプライドが孤独をさそう でも

あなたは「受け止めるから!」とニコニコ  でも

でもでも言うてる ニコデモの第一歩

風にまかせて生まれ変わる ニコデモの第一歩! 」

Yeah・・

以上です。おつかれさまです!

***

「風は、思いのままに吹く」は、

「風は己が好むところに吹く(文語訳)」とも訳されている。

聖霊の好まれることは、なんだろう。

慰め主であり、励まし主である聖霊さまは、 

助けを必要としている人のために、

助けてほしくても、

声をあげられない人のために、

わたしたちに、出来ることをつづけてほしい、と、

促しておられる。

***

イエスさまは、弟子ペトロにも、このように言われた。
*******************************
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:32)
*******************************

このあと、イエスは捕らえられ、
ペトロは、イエスのことを3度否認したのち、鶏が鳴いて、
彼は激しく泣いた。

このときのペトロの悔い改めは、
彼が、本来のあるべき姿に、変えられるために、
そして、立ち直るために、必要な出来事だった。

ペトロは、兄弟たちを力づける人と変えられていった。
イエスさまの羊を飼う人、と、変えられていった。

わたしたちも、日常のあらゆる出来事に、つまづいてしまうことがある。

しかし、ペトロに対して、イエスさまが言われたことと同じく、

イエスさまは、わたしたちのために、信仰がなくならないように、とりなし祈ってくださっている。

だから、だいじょうぶなんだ、ということを、受け取って、

すすんで行きたい。

***

希望が湧いて、励まされたことがある。

まだ、末っ子が、赤ちゃんの時だった。

何故わたしはここにいるのだろう、

と、心の中で感じて、眠るわが子の横に座っていた。

「生きづらさを抱えている人のために何でもしたい」

という、力づよい言葉を聴いた。

死んだ魚のような自分の目が、きらきらと輝きだしたのが分かった。

ああ、わたしも、そのようになりたい、

そのように、素直に思えた。

*******************************
人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイ4:4)
*******************************

というみことばがある。

神の口から出るみことばで生きている兄弟の声に、

励ましをいただいたのである。

この時の前向きになれた経験は、ずっと心に生きている。

この感覚を忘れなければ、

ごはんが食べられる。(生きていける、という意味で)

とまで、思えた。

わたしにとっては、清らかな風が吹いた瞬間、

であったのだと思います。

***

イエスさまの愛を受けた、

だれかのこころよい愛が、

ほかの誰かを目覚めさせる。

わたしたちはみんな、このような経験を、

あらゆる場面でしています。

聖霊の風は、至るところで吹き、

イエスさまの愛が、私たちにも流れています。

あきらめずに、求めていきましょう。

窓を開けて、

聖霊の風を感じていきましょう!