風は思いのままに吹く
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「風は思いのままに吹く。 あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。 霊から生まれた者も皆そのとおりである」
(ヨハネ3:8)
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あしたは、あしたの、風が吹く /
風は、思いの、ままに吹く /
御霊は、好む、ところに吹く /
・・・
聖書的語呂合わせ、リズムがあって楽しかった。
夜、大河ドラマの「光る君へ」を観ていたら、
なんだかわたしも、つくりたくなった。
Rapのリズムに合わせてみよう、波紋よ、Come on!
♪♪♪♪
「あなたに会いたいから会いに行く でも
思うところあって 夜動くニコデモ
恐れとかプライドが孤独をさそう でも
あなたは「受け止めるから!」とニコニコ でも
でもでも言うてる ニコデモの第一歩
風にまかせて生まれ変わる ニコデモの第一歩! 」
Yeah・・
以上です。おつかれさまです!
***
「風は、思いのままに吹く」は、
「風は己が好むところに吹く(文語訳)」とも訳されている。
聖霊の好まれることは、なんだろう。
慰め主であり、励まし主である聖霊さまは、
助けを必要としている人のために、
助けてほしくても、
声をあげられない人のために、
わたしたちに、出来ることをつづけてほしい、と、
促しておられる。
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イエスさまは、弟子ペトロにも、このように言われた。
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しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:32)
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このあと、イエスは捕らえられ、
ペトロは、イエスのことを3度否認したのち、鶏が鳴いて、
彼は激しく泣いた。
このときのペトロの悔い改めは、
彼が、本来のあるべき姿に、変えられるために、
そして、立ち直るために、必要な出来事だった。
ペトロは、兄弟たちを力づける人と変えられていった。
イエスさまの羊を飼う人、と、変えられていった。
わたしたちも、日常のあらゆる出来事に、つまづいてしまうことがある。
しかし、ペトロに対して、イエスさまが言われたことと同じく、
イエスさまは、わたしたちのために、信仰がなくならないように、とりなし祈ってくださっている。
だから、だいじょうぶなんだ、ということを、受け取って、
すすんで行きたい。
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希望が湧いて、励まされたことがある。
まだ、末っ子が、赤ちゃんの時だった。
何故わたしはここにいるのだろう、
と、心の中で感じて、眠るわが子の横に座っていた。
「生きづらさを抱えている人のために何でもしたい」
という、力づよい言葉を聴いた。
死んだ魚のような自分の目が、きらきらと輝きだしたのが分かった。
ああ、わたしも、そのようになりたい、
そのように、素直に思えた。
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人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。(マタイ4:4)
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というみことばがある。
神の口から出るみことばで生きている兄弟の声に、
励ましをいただいたのである。
この時の前向きになれた経験は、ずっと心に生きている。
この感覚を忘れなければ、
ごはんが食べられる。(生きていける、という意味で)
とまで、思えた。
わたしにとっては、清らかな風が吹いた瞬間、
であったのだと思います。
***
イエスさまの愛を受けた、
だれかのこころよい愛が、
ほかの誰かを目覚めさせる。
わたしたちはみんな、このような経験を、
あらゆる場面でしています。
聖霊の風は、至るところで吹き、
イエスさまの愛が、私たちにも流れています。
あきらめずに、求めていきましょう。
窓を開けて、
聖霊の風を感じていきましょう!